人間という動物は簡単に忘れるものだから、今のうちに綴っておこうか。

文章にすることは
反芻することのようで
宣言なのかも知らないし
健忘録なのかもしれない。

その時、何が一番大事なのか?
ということを見失うと
すべてのリズムが狂う。

例えば、

お金を稼がなければならない。
技術を学ばなければならない。
学びの場に居てはお金が稼げない。

という場合、

多分 フツーは
どちらかを選択 しようとする。
なぜか、両立できないと思ってる人が多い。

わたしは、ここで
何を大事にするかというと

今日の生活費より
未来の自分の成功報酬

とはいえ、今を生きなければ
未来もないというのなら
もっと大きな枠で 何かを改善しなければ
いけないワケで

集団に所属する、ということは
ルールがあるわけだけど
ルールなのか 暗黙の了解なのか
なんとなーくそうなってるのか
そんなようなことも多々あり

それに対して
どこまで自分を差し出すことができるかっていうと

正直なところ
個人差は絶対にある。

 

 

自身が所属する団体が主催する勉強会は、
それは大変有意義なものであるのに
出席者が殆ど居ない。

それは何故?と聞いたら

アルバイトをしてお金を稼がなきゃならぬとか
そんな理由が聞こえてくる。

 

何故その勉強会の開催される期間に
アルバイトをせねばならぬのかというと
他の日にずっと稽古があり
この勉強会の期間しかバイトができない、ということらしい。

なるほど。

不思議なものだ。

祖父母 両親が他界し、兄弟もおらず、
実家と墓を引き継ぎ 先祖の残したものを守り、
家族が残したワンコを養い、
借金を抱えているわたしより

時間とお金が無いひとなのか。

ナイナイと思えば無い。そういうものだ。

 

巨大なヒエラルキーの最底辺に
位置付ける 今のわたしだ。

強制される仕事は多々あるが
この出来事を反面教師として
これからの一年を過ごそうと決意した。

 

 

稽古中にできないアルバイトより
稽古中にもできるアルバイトをやろう。

拘束時間をしっかり見極め
必要以上の拘束はお断りしよう。

「続けること」を最優先にするために
生活と、家と、家族をちゃんと守ろう。

周りの言葉に左右されず
自分の言葉を聞いていよう。

馴れ合いの群れを抜け
集団の中でも個人を無くさずにいよう。

できることとできないことを分類し
できないことは「できない」と言おう。

 

これで、一年、二年と過ごし
「あなたはこの集団には合いません」
と言われるなら、
もともとわたしの居場所はここではなかったのだろう。

クレオたんを守るために
クレオたんをにも、協力してもらう。
一緒に頑張ろう。

 

 

昔の写真の中にいる わたしと目があった。

そのわたしを忘れないでいよう。

 

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