一喜一憂していると見逃してしまう、本当に感じたり見たり考えたり取組んだりしなきゃいけないことを見過ごさない方法。

いしわたり ようこです。

オヤジの介護に向き合って、たった1ヶ月。

たった1ヶ月で、こうなるんだね。って思うと。
胸の奥底に、引っかかるものがあってね。

というワリには、ビックリするほど冷静な自分が居て

それって、なんでだろ?って思う昨今です。

 


老人の肺炎は免疫力が落ちているから悪化しやすいし直りにくい


 

肺炎が原因による敗血症からの意識障害
っていう、診断結果が出ており、
只今、抗生剤を点滴中。

親父の熱が、入院後、一週間を経過してやっと下がったのです。

ずっと38度下回ることがなかったけど
やっと36.9度まで下がってるらしい。

いろんな抗生剤を試してもらって
「肺炎に効く一番強いやつ」っていうのを
投入開始したらしい。

らしい らしい ばかりで。

 

先生は、はじめ 髄膜炎かと思ったらしい。

【髄膜炎の原因と症状】髄膜炎ってどんな病気?

でもそうじゃなくて、肺炎からの敗血症による意識障害らしい。

敗血症は全身の血液が侵される病気

 

正直なところ、目も悪いってこともあり、
わたしのことも、彼の兄弟のことも、識別できないようす。

 

退院しても在宅介護はもう不可能で、

ケアマネジャーさん曰く
確実に要介護5くらいのレベルで

「トクヨウ」へ優先的に入れてもらった方が良いらしい。

 

こうやって。

家ってのは、住人が減っていくんだな、って、思う。

 

一人で住むには部屋数が多すぎる我が家で、

というか、

我が家は、祖父母の家(父の生家)もどう敷地内に建ってて

二軒も建ってる家がある土地に、
住んでるのが わたし一人、なんて、

贅沢なのか、孤独なのか、紙一重すぎる。苦笑

 

庭の剪定が必要

 

 

本格的に、利用する術を考えはじめないと
ただの瓦礫の山になってしまうなぁ、と。

改築して、何か、利用できる術を探そうと

ボチボチ考えてるんだけど。。。 何かいい方法ないかなぁ。

 

 


業務の遂行と、人間の情動と、無二の献身


 

この病棟は、後期高齢者と思われる人ばかりが入院して居るのだけれど、

手際よく、最小人数で、すべての入院患者のケアをしていく看護師さんたちは
本当にすごいと思う。

ある意味淡白に、冷静に、
どんな時でもフラットな対応で、

それでいて、丁寧で、
ハートフルでないと、これってできないよなぁ

って思っています。

冷静すぎて、それが、時に
冷淡に感じる時もあろうけれど、

そういう 生命の存続が際どい人々と常に接していながら
判断を的確にしていく仕事ぶりを見ながら

わたしは、自分に置き換え、
日頃のビジネスの取り組み見直すのです。

1ヶ月の在宅介護生活で
カンペキに腰を痛めた わたしですが

看護師さんたちは、本当にすごいなぁと
ただそれしか いえませんよ。

この前、わたしが看護師さんの行動に感動していることを
とある人に語ったら、

「わたしの知っている看護師さんは、笑顔が仮面みたいになってて
見るからにストレスを溜め込んでるなぁって感じだけどww」

って言ってた。

わたしが関わる看護師さんたちは、全然そんなことなくて、
ニコニコなんてしてなくて、フラットな。。。なんというか、

職人の顔 をしている人が多い。

多分 病棟によっても違うんだろうなぁ。

たとえば、産婦人科とか外科とかだと、
患者さんにもストレスを抱えた人が多いだろうし、
そのストレスの矛先が、看護師さんとかになっちゃうんだろうし。

この職業を目指す人の動機というのは 様々だと思うけど

人間の手で作られるものは、唯一無二で
決して同じものはないワケで
それを提供し続ける、というのは
とてもパワーが必要なことですよね。

これは、芸術でも、スポーツでも、商売でも、なんでも同じなんだ、ってことに
ふと、気づいたのですよ。

人、でしかないなぁ。と。

 

人を愛し人に生きる

 


老健ってなに? 人生の終末をどう過ごすか、どう過ごしたいか?


 

さて、父の今後ですが

在宅介護の際にお世話になっていたケアマネジャーさんの管轄ではなくなります。

回復しなければ、このまま入院しっぱなし ですけど、

回復したら、病院内の相談員さんに、
在宅を目指しリハビリ施設に行くか、入所介護を希望するかを相談することになるらしいです。

「ローケン」って言うらしい。→ 老人介護保健施設 (老健)

老健と呼ばれる、医療ケアやリハビリを受ける事を目的とした介護施設です。
ただ、入院治療が必要な状態ではなく、病状は安定しながらも在宅では介護が困難である場合に利用できます。

認知症ネットより

 

個人的には、回復できたら、このままこの病院で
リハビリをしながら、白内障の手術をしてもらいたいんですよね。

多少視界が見えるようになれば、何かが変わるんじゃないかなぁ、という
淡い期待を抱いてるんですが。

でも「ローケン」って、在宅介護を前提にしていく施設だから
やっぱり、病院から直行で「トクヨウ」っていう選択になるのかも。

病気やケガから回復!退院後の3つの行き先とは

 

 

あと、

介護認定が出る前に、前倒しで介護保険サービスを受けていたので、

入院した今は「健康保険」の管轄になるから
介護保険サービスを停止する手続きをお願いしないと。

要介護認定を待てない緊急時は暫定プランで乗り切ろう

 

3週間前に、介護保険の認定員さんが自宅を訪問したときは
立って歩いて、トイレにも行き、皿もスプーンも持てていたのに、
今や生死を彷徨う、寝たきり状態。ってことは

確実に介護度の区分変更をしなければならず、

そもそも、

この、介護の認定が降りるまでの1ヶ月というスパンに
いささか疑問を抱いてしまうなぁと。

我が父のような急速な身体の衰えの進行について、
もうすこし寛容な対応が受けれれば

 

まぁ、「タラレバ」だけど、
ここまで酷いことにならなかったんじゃぁないかなぁ、というのも事実。

 

世の中のひと、皆、介護にかかわる家族はそう思ってるだろうなぁ。

 

なにしろ、状態の安定がするか否かによって
この先の対応が変わる現状。そんな、我が父。

 

 


起こるべきして起こることしか起きない。「木を見て森を見ず」では、何も得られない。


 

なんだかわからないけど
起こる出来事全てが、パズルのように組み合わされており、

どんな出来事にも、起こることには意味があるようで。

そのように物事を考えて行くと
今、何をすべきか、これをするための布石だったのか、というような

一歩 引いたところから、世界を見ることができるみたいです。

当事者になりすぎない自分が居るような、
3つくらいの出来事を並べて関係性を考えるような、

そんな感覚を持っています。

携わるビジネスにおいて、大きな変化の渦中にいますが、

例えはこれが、父の介護をしながら取り組めたかというと、
絶対に無理だったし、

かといって、父の入院を、
その仕事を受けるために願ったわけでは無かったのに、

本当に、起きうる出来事は、
必要なことしか起こらないのだ、と、

与えられるものは、手にしてしかるべきものなのだ、と、
思う以外 ないのです。

入院してるからって、容態が安定するまでは 安心できないですが、

少なくとも自宅で素人のわたしが足りないケアをしてるよりも
百倍安心して居られる現状に、

心より感謝して居ます。

これもひとつの「出来事」

このタイミングを無駄にせず、わたしはガッツリ
仕事に身を投じようと、狙いを定めてるわけなのですよ。

どこに視点を置くか、とか
どのくらい 離れて現実を見られるかによって

こんなにも、自信を持てるワケですね。

出来事には全て理由がある。

そんなふうに、今を見て見たらどうでしょう。ね。

木を見て森を見ず

一つ一つの出来事に一喜一憂するのではなく、

今、自分に起きている全ての事象を、平行に並べることで

強い使命も、やるべきタスクも、自分が今できることも、
ちゃんと見える、ということでしょうかね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

ABOUTこの記事をかいた人

舞台女優。クラシックバレエ・フラメンコ・中国武術・唄の経験を活かし舞台演劇に携わる傍ら、国内外ECサイトで物販業を運営。後進者育成アドバイザーとして活動。ストレッチサークル主催。SHOW企画。