愛が足りない。存在を証明してくれるのは自分以外の人間でしかないのに、相手が見えていない。

いしわたり ようこです。

内容的には、この記事の続きです。
認知症になる前に、ならない準備をする選択をするのは、自分だけだと言うこと。

発熱により、動けなくなった認知症の父が
急遽 救急外来に行くことになったハナシ、でした。

・・・正直なところ。わたし一人では
なにも正しい判断ができなかった。

それくらい、介護って言うのは
超絶プライベートで、腫れ物を扱うような現実だけど
絶対オープンにして、第三者の目で見てもらわなければならないものなんだよね。

  

 


介護を通して学ぶ、人間との付き合い方と 接し方と、言葉の伝え方。


 

結局 この日の父は
抗生物質と解熱剤を処方され、帰宅させられました。

「入院」

と言う可能性に、カナリ期待をしてしまった、わたしでした。

 

「あ。自由になるのかも、わたし」って。

 

こんなときに、自分の身体の一部を
不感症に仕立て上げていることに、気づく。

かかりつけ医の先生に、緊急外来窓口への紹介状を書いてもらった時点では

「何かの感染症で入院することになる可能性が高いですが
その病院は満床だから、
どこかベッドの空いている病院に移動することになるかも」

って言われていたんですけど。

実際は、ちがくて

「抗生物質を処方するので帰宅してもらっていいですか?」

だったのよね。

 

一瞬でも「入院の可能性」に、一筋の光明を見出していた自分に
チョットだけびっくりした。

 

入院してくれたら
ゴハンも、トイレも、ベッドや車椅子への移動も 心配ないし、やってもらえるし。

 

やっぱり、自分自身で、不感症に
追いやってるみたい。

 

自分が不感症になっていると、だんだん、相手にも不感症になるのだと思う。

 

時に、わたしの言葉より、看護師さんの言葉が 親父に伝わりやすいときが有るように見える。

ノウハウやマニュアルに有ることなのかもしれないけど、それだけではなくて。

 

看護師さんたちは、患者さんの不安に共感し、上手に相手を動かすことが出来る。

相手を動かす術(すべ)は、身体の使い方、声の掛け方、手の触れ方、など

全てを通じて 感覚の鈍った相手に 信号を送っているんだと思う。

そんなやり取りを見ながら、わたしは、父に接する術を学ぶわけで。

 

ヒキコモリ 不感症 孤独

 


最終的には、人が人に対する思いやりしかない、ということ。


 

それにしても、こんな現状でも
手を差し伸べてくれる人が居るのは、救いでしかなくて

緊急外来受付病院への移動手段に、困り果てたわたしに、
ケアマネジャーさんが、ケアセンターの車を手配してくれて

しかも、その特殊車両の運転手さんは、
検査が終わった20時半まで、待機してくれたんだよね。

 

勤務時間外労働だよね。どう考えたって。

 

「タクシー乗って帰れる人だったら、そうしてください、って言うけど
石渡さん、そうもいかないでしょ。待っていますから大丈夫ですよ」

なーんて言われて。本当に感謝しかなくて。

 

片道¥2000でしょ。

タクシーと同じくらいの料金だし、5時間も待たせたのに
自宅のソファに オヤジを座らせるところまで、手伝ってくれて。

泣けるほど嬉しくて、感謝しかなくて。

 

そう思うほど、

これから、わたし一人で、どうすればいいんだろ。

という、答えの出ない現状が、脳内をループする。

 

介護 家庭環境

 

こんなにいろんな人に助けてもらえることは
初めてすぎて。

これから、自宅で、
どうやって介護してけばいいんだろう、って
ゼンゼンわからない解決方法に、

ケアマネージャーさんが、
本当に 一緒に考えてくれる。

 

助言をくれたものは、すぐ実行。

 

オムツには、尿取りパットを追加。

ご飯は消化のいいものに変更。

車椅子と介護ベッドを手配。

訪問看護を取り入れる。

 

なにしろ、対応が早くて、驚く。

そして、直ぐに、何か有ると 我が家に訪問してくれる。

 

それだけ、介護サポートのニーズと
直面する課題が多いんだな、と思った。

如何に この世の中は、介護に悩み苦しむ人が多く

それゆえ、あらぬ終末となってしまう問題が多いのだろうな、と。

なんで、自分がこんなに強く居られるのか、ゼンゼン根拠がわかんない。笑
  

 


仕事と割り切るか、そこに人間が居るのか、仕事だからと言うだけで何でも出来るものなのか。


 

介護職、病院の職員さんたちには
彼らにとっては仕事とはいえ、頭が下がる。

 

父の診察の終了を5時間 待ってくれた
ケアセンターの車の運転手さんが言うには

「人が人に向き合う仕事だから」

と、口にする言葉が、嘘モノではなくて。

 

人間は、ここまで相手を思って何かをすることができるんだ、

と思うと

わたしの人生は、こんなにも思いやりが足りなかったのかと
反省する。

いかに自己中心的で、自分主体で物事を考え、
何もしていなかったんだな、と痛感する。

 

先日、参加していた、演技のワークショップで言われたことは、

 

「相手の存在だけが自分の存在を証明する」のだと。

 

相手がいなければ、自分は何者なのか 定まらない。

人から見て、わたしは、
女性であり、舞台人であり、娘であり、先生であり

ようするに、相手から見て、何であるか、ということでしか
自分は表されないワケですね。

そうであるならば
相手が見えなければ、自分の存在は、無いも等しいということだし

相手への思い が少なかったわたしは

自分が 存在しきれてなかったんだ、と。

そんなことを、思った。

 

介護は、まぁ、大変だけど、

悲しいことでも、辛いことでも、悔しいことでも何でもなく

 

こんなにも人間という動物を知る機会を与えてくれるものだ、と

驚くばかりなのです。

 

あ。クレオたんの手作りゴハンのこと、明日UPしよっと。

黒姉妹 ジジとクレオ

またね。ばーい。

 


 

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ABOUTこの記事をかいた人

舞台女優。クラシックバレエ・フラメンコ・中国武術・唄の経験を活かし舞台演劇に携わる傍ら、国内外ECサイトで物販業を運営。後進者育成アドバイザーとして活動。ストレッチサークル主催。SHOW企画。