認知症になる前に、ならない準備をする選択をするのは、自分だけだと言うこと。

いしわたり ようこです。

親父の認知症の進み具合が急激すぎて

人間って、こんなにも アっという間に衰えるんだなぁと、

ある意味衝撃。

 

  

 

9月30日には、歩いて病院にいってたのに

11月になったら一人で歩けなくなって

5日前には、わたしが支えたら 歩けてたのに、

2日前に、初めてデイサービス行った時には
「歩行するには2人の補助が必要です」と報告され、

昨日から、立つこともできなくなったかんじ。

 

 


こんなに急速に衰えると、家族がついていけない。こうやって疲弊していくんだね。


 

事の発端は、こんな感じ。

月曜日に「土曜日に診察にいらしてくださいね」と言われて
近所のお医者さんに行くはずだったのに

立つことすら出来なくなった父が居て

わたしの自力では、彼の全体重を持ち上げることもできず
トイレにすら連れて行くことができないのに、

「そうやったらお医者さんへ連れて行けるんだろ?」

だれに相談していいか わからないし、
どうやって解決していいかも わかんない。

自分が直面して、

本当に家庭内って 閉鎖空間なんだな、って思った。

 

言わなきゃわかんない。発しなきゃわかんない。
そうやって、みんなつぶれていくんだな、って。

 

家庭内離婚 マリッジブルー DV 育児放棄

 

わたしの場合は、

ゼンゼンわかんないから、
急いでケアマネジャーさんに連絡できた。

 

なんだかわかんないけど、すぐ来てくれて。

なんか、救われたかんじがした。

 

救われるって、こんな感覚なんだ、って、チョット思った。

 

父の様子は、顔色も悪いし、発熱してるし

手が、志村けんさんのコントに出てくるおじいちゃんみたいに
フルフルしてるし

あからさまに身体機能が急降下してる。

直ぐに かかりつけ医に急いで電話するように指示され、状況を伝えたら
お医者さんが我が家まで来てくれることになり、
総合病院の救急外来に、紹介状を書いてくれることに。

この判断も、ぜったい自分じゃ、経験が無いから、無理だよね、普通。

それにしても、

近所のお医者さんのフットワークのよさに
「こういうニーズがあるんだぁ」と少し感激。

 

近所のかかりつけ医

 


遠くの親戚より、近くの他人。とは言うが、どっちにしろ、他人に頼むのが正解。


 

今まで、わたしは
なにしろ「近所」が嫌いだった。

厳密に言うと、近所が嫌いなのではなくて
親戚が嫌いで、信用していない。

親戚って言ったって、第三者だし、
都合いいときしか、口を出したり 手を貸したり、しない。

実際、今だってそうだ。たぶん、世の中、それが普通。

だから、介護や 子育てに 直面している人は、
逃げ場がなくなるんだと思う。

「ようこちゃんが一緒に住んでるから心配ないと思ってた」って言われたし
外から見たら、確かに、そう思うだろうし。

ちがうよね。本当は ちがう。

 

でも、先月に起きた視点の変化から、
この、本気の在宅介護生活に取組むに至り、
「近所」は、悪いもんじゃないって事に気づいた。

この介護生活が始まる直前に、気づく機会があってヨカッタ。

いま、田舎も嫌いじゃないし、実家も嫌じゃない。

父の様子がおかしいな、って思ったとき
疎遠になった関係を乗り越えて
伯母さんちの玄関を叩いたから、

介護保険の存在を思い出せたし、申請できたし。

それを二の足踏んでたら、いま、マジやばい状況だと思う。

伯母さんが、たまたま民生員さんだったし、

伯母さんから包括支援センターに連絡してもらえたから
とんとん拍子で 介護生活のステップアップが出来た分けたし

 


介護は無償で労働できない範囲。出来ないことはプロへ任せてお金を払えばいい。


 

親戚は助けてくれない、っていう考え方も変わった。

親戚にも家族があり、
一番守らなければいけないのは、そこだし、

それに、1ヶ月間、独りで父親の介護に向き合って
確実に、こう言えるのだけど、

この介護っていうものは、
プロにお金を払って お手伝いを頼むべきで、

親戚に助けてもらうっていうレベルの問題じゃない。

今、わたしのやっている作業を、
親戚の誰かに頼んだら、その人が、ぜったいつぶれる。

その人が、わたしと同じように辛い思いをすることになるし
その人は時間を奪われ、いずれはストレスを抱えてしまい、

それは、全く意味のないことだ。

 

親戚は助けてくれない、のではない。

親戚は、居るんだ、ということ。

助け合い運動
と言う言葉が有るし、

困ったときはお互い様
と言う言葉も有るけど、

はなから、他人が助けてくれるってワケとは話が違う。

誰かに助けてもらうことを 基本概念としていることが間違いで
本当は、誰かに頼らないで生きていける生活スタイルを用意しておくべきで
そうならない為に、準備をしておくのが正解だったはず。

その上で 「困ったときはお互い様」なんでしょう。

 

父は、その点、何も準備していなかったから
こうなったわけ。

母が死んだら、現実から逃げて酒を呑みながら引篭り、
仕事をリタイアしたら、外に出るのが億劫になり、テレビの前で酒を呑み、
飼い犬が死んだら、喪失感で酒を呑み

リタイアして半年でキッチリ、
オムツをつけて、認知症で
介護ベッドと車椅子の生活になったわけ。

 

老人と痴呆

 


充実するか、枯渇するか、それも全て結局 自分が選択したことしか残らない。


 

選択、だけだ。

すべて、選択で決まる。

ぜんぶ、自分のせいだ。自分の選択だ。

 

わたしの選択も、これ。

 

グループホームに ぶち込む選択をせず
在宅介護を選択した、だけ。

放置し 家に帰らない選択をせず
食事を食べさせ、オムツを変え、車椅子を押す選択をした、だけ。

誰のせいでもない。
あとは、選択した故の行動をするだけ。ただそれだけ。

 

お金を払えば、やってくれる業者さんは
いくらでも居るよ。

そういう選択も有る。それを選ぶのもアリでしょう。

なんでも選択。

自分の選択から目をそらし
ただ世間に悲観し自愛するなんて、ナンセンス。
 

 

 

ところで
クレオたんが、手作りごはんをペロリと食べてくれるようになりました☆

クレオたん アメコ

3日くらい、かかったかなぁ。

その話を、今度はしますネ。

でわでわ。

 

 


 

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