わたしの顔を見る、哀れむ顔つきが、大嫌いだ。

いしわたり ようこです。

介護について話をすると
みんなが、哀れむ顔をするけど

 

いくつかの、大事なことを忘れているなぁと、思うのです。

 


ただの順番ですから。貴方が先か、わたしが先か、ってだけです。


 

動物は、すべて、生まれて死んでいくのです。

それが早いか遅いか、長いか短いかは
正直なところ、神様だって、わかるはずがない。

 

だって、動物そのものの意思が
それを決めてしまうときもあるのですから。

 

そりゃぁ、たまにはイラっとする時もあります。

 

例えば、

 

深夜0時半ごろに帰宅をしたとき、
父親が普段、使用していない鍵を閉めてしまい
外から玄関を開けることができなくなり

わたしが家の中に入れないため、

近所迷惑だと わかりながらも
大声で、彼の注意を引きながら
鍵を開けることを、諦めて投げ出さないように
声がけを繰り返してると、

イライラしたくなくても、イライラしてきてしまう時があります。

 

でも、結局、

鍵の開錠業者を呼んで
6.5万円を支払って、

玄関が開いて、中に入って

転んで、下駄箱をひっくり返して
靴をぶちまけている現場に足を踏み入れると

現状復帰と
トイレに行かせるのと
着替えさせるのと
食べさせるのと
薬を飲ませるのと
寝かせる作業を
事務的に進めることになるので

 

イラつくヒマなんぞ、ないのです。

 

イラついたところで、
何が、どうなるわけでもないのです。

 

彼が、次の機会から、何が出来るようになるわけでもないのです。

 

6.5万円は、必要経費、

使って当たり前のお金だったのです。

 

徘徊の対策は、そんな状況に直面したから
知ることが出来たって、だけ。

知らなかったから、驚いた、だけ。
ただそれ、だけ。

 

驚いたけど、悲観に暮れるヒマなんぞ、ないのです。

どうすれば阻止できるんだろうと、
考える、だけ。

扉や窓を無理矢理開けて、
屋外に出て行くのを止めるためには
何処を、どうやってふさげばいいんだろう、と

考えればいい、だけ。

古民家 徘徊 母屋

 


探し物を探し続けて、行きつく先が、草むらだった、だけ。


 

徘徊っていうのは、

自分がどこにいるのかわからなくなったり
自分がいるところが既に幻想の中のようで、

その中をさまようことは

どんなに怖くて不安なのかと妄想すると

彷徨っている人のことを思い、

苦しくなる。

 

ちなみに「徘徊」って、こういうこと↓

認知症による徘徊の原因と対応

 

2回、徘徊する父に、度肝を抜かれて、
わたしは学ぶことが出来た。

 

1回めは

深夜に帰宅すると
家の中にいなかった。
ケータイに電話をかけて所在を確認すると
ベットにいると言い張るが、居ない。

通話を続けながら、声のする方に行くと、
裏庭の低木と、草むらの中で
ベッドに横たわるように寝ていた。

 

2回めは

玄関を外から針金で開かないように縛ったり
外に出ないようにするために、
掃き出し窓の前に荷物を置いて、そこから出ないようにしたけど、

人間の「火事場の馬鹿力」は驚くときに発揮されるもので
荷物を乗りこえ、外へ転げ出て草木をかき分けながら
裏庭と越え、
隣の会社の倉庫の脇で
「着替えなきゃ」と言って
裸になっていて寝っ転がってた。

流石に裸のまま歩かせるわけにいかないから
荷運び用の台車に乗せて、
毛布をかけて家に連れてきたけどね。

木造平屋建

 


大変なことなんて、ひとつもない。アタリマエなことしかない。


 

立ち止まって、振り返ってしまえば、

あぁ大変だ、わたし、と思うだろうけど、

大変 とか感じる前に

当たり前のように、身体を持ち上げて引き起こし、
無心で片付けて
シャワーを浴びさせて
ご飯を食べさせて
寝かせている。

 

思い通りにならないことにイラつくのは
ナンセンスだ。

そんなことにイライラしていると
少なくなった、24時間のうちの自分の時間を
もっと消耗してしまうことになるのに。

 

なにより、

 

衰えと困惑と幻想の中を彷徨う
本人が一番、辛いのだろうと慮る。

 

一番つらいのは、本人だ。

 

わたしが、もし、

全てが霞んだ空間で
方向を見失い、
見えないものが見え、
誰にも声が届かないところを
彷徨ったら、

どうなるだろう、と考える。

 

嘘モノの世界から、出てこれなくなるんぢゃないかなぁと思う。

 

ここで一番大事なのは

 

世界が見えなくなったら
見えないことを受け入れずに
見ることを、辞めないことだ。

辞めた時点で、戻れなくなる。
放棄した時点で、取り戻せなくなる。
諦めた時点で、達成できなくなるから。

庭の剪定が必要

退化するのは簡単だ。進化し成長することだけが難しい。


 

母が健在だったころ、
母は、祖母の在宅介護を10年ちかく取り組んでいました。

その時に学んだことは、

おぼつかない手つきや動きを、哀れと思い、助けると
当人は何も、やらなくなり、
次第に何も、できなくなる。

おぼつかないながらも、自らの力で動かすよう
声をかけ続け、動き続けてもらうと、
費やす時間は8倍かかるけれど、
自力で、動かし続けることが出来る。

 

諦めさせることは、簡単だ。
諦めることも、簡単だ。

でも、

続ける事を辞めないのなら
後退することは無いのだ、ということ。

 

動物は、簡単で楽チンなことを選択する。

その先に迎える出来事が、見えているならそれでも良いかもしれないけれど、

簡単と楽チンの先には、プレシャスなものがあった試しがないなぁと

思うのです。

哀れな顔を向けられるのが嫌いだ。

だって、こんなに生活や人生を見つめなおす機会に直面しているのに。

わたしが、貴方より、先に順番が来ただけ。

数年後か数か月後に

同じことを経験して、そう思えばいいヨ。

先に知ることが出来たわたしのほうが

ラッキーなんだ、っていうこと。

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ABOUTこの記事をかいた人

舞台女優。クラシックバレエ・フラメンコ・中国武術・唄の経験を活かし舞台演劇に携わる傍ら、国内外ECサイトで物販業を運営。後進者育成アドバイザーとして活動。ストレッチサークル主催。SHOW企画。